自由に生きたいっていうけれど・・・ 2019/03/29
最近は自由がブームになっている気がする。
スキルを身に着けて自由を手にする。会社に所属せず、フリーランスとして生きていく。
SNSを見るとこんな人たちばっかりではないだろうか。
確かに、勤務時間も自分で決められる、勤務場所も自分で決められる、社会に所属しないことで得られるメリットは大きいかもしれない。
こんな"自由"な働き方もいいのかもしれない。
ところで自由とはどういうことなんだろうか。
自由の辞書的な意味としては
他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること。
と書いてある。
拘束されず、自分の好きなようにできる、ということだろうか。
今は自由に様々な生き方があるからいいのかもしれないがそれは真の自由なのか。
今日は自由についてもう少し深く考えてみたいと思う。
例えば、どこかお店に行ってメニュー表を見る。
メニューは自分で自由に選べる。
しかし、本当に自由に選べているのか。
今日はこれが食べたい、今日はこの気分など自分のその時の価値観、気分によってメニューを選んでいる。
これは結局、自分のその時の感情に縛られて選んでいるのではないだろうか。
感情によって縛られ、メニューを選ぶことは本当に自由に選択肢があるということなのだろうか。
自由に生きたいと言っている人たちも結局は自分の感情に縛られて生き方を選んでいるだけのような気がする。
また、自由に生きたいという人たちはほかの人の生き方を否定しているような気さえする。
結局のところ、見せかけの「自由に生きる」であって真に「自由に生きる」ということではない。
自由に生きることを公言しているのであれば、他の人の人生も自由に選ばせればいいんではないだろうか。
最近のSNSのインフルエンサー界隈はなんか宗教団体に見えてしょうがない。
スキルを付けて独立、発信活動など情報弱者や人生に迷っている人の不安をあおるビジネスではないだろうか。
人の弱みに付け込んだ宗教団体のような気がしてしょうがない。
実際、成功している人はいるけれどもそれはほんの一握りである。
フォロワー数で人を判断し、人生はお金ではないといいながら収益を公開する。
なんか矛盾していないか?
私は宗教団体のような今のSNS界隈は疑問に思う。
自由に生きるとは何なんだろうか。。。