大学生必見!人はなぜ勉強しなくてはならないのか。司馬遼太郎の名作「峠」を読んだ感想!(後編)
後編です。
名言集の続きでも行きますか。
「峠」の名言集
日々いつでも犬死ができる人間たろうとしている
死を意義あらしめようとする人間は虚栄の徒である。人間は朝、夕に犬死の覚悟を新たにしつつ生きる意義のみ考えなくてはならない。
死ぬことを考えてはいけない。どうして生きているのか、いつ犬死しても構わないように生きる意味を考え、今を全力で生きろ。
私は、この言葉が一番心に刺さった。”今”を考えることにより、物事の決断が早くなったように思える。
新しい世を開くものは、新しい倫理道徳を創めねばならぬ
そのままです。新しい世界、新しい概念を作るには根本から変えなくてはならない。
ビジネスにおいてもそうでしょう。
これは河合継之助が武士としての刀を捨て、洋式の新兵器を導入するときに使った言葉である。
刀を捨てるということは約300年続いた伝統を捨てるということであり、相当な殻ゴア必要であろう。
しかし、彼は長岡藩が生き延びる道を考え、300年の伝統を捨て新たな概念を生み出したのである。
何事かをするということは、結局はなにかに害を与えるということである
何かをするということは、何かに害を与えるということであり、それがわかっていないものや、何かに害を与えるという勇気のないものには善事ができるはずではない。
河合が武士の刀を捨てる時も、伝統に害を与えた、気付つけたということである。しかし、彼はそれをやり遂げました。長岡藩を後世に残すため、伝統という重みのあるものを傷つける勇気がありました。
人間の命なんざ、使うときに使わねば意味はない
生はことをなすための道具にすぎない
一度しかない、人生、大切にしなければいけないけど、大事に大事にリスクをとらないことはよくないということでしょうか。
これは賛否両論ありそうですね
私は、彼の意見に賛成できます。
何かやってそれで死んだとしても、これが人生だったと思えるからです。
皆さんはどうでしょうか?
人間は自然の状態では悪であり、 馬鹿であり、臆病であり、恐怖の前では何もすることができない。
軍隊はなぜ規律のある行動をするのでしょうか。
いざとなっては臆病で馬鹿で恐怖の前では何もすることができない人間に戦争では人を殺させねばなりません。規律で人間の臆病さを縛ってしまっているのです。
習慣化ということもこうではないでしょうか?意識的にやっているから続かなくなるのです。無意識に続ければ、「規律」となってしまえば、人間は何でもできるようになるということでは・・・。
難しいです。
人はその長ずるところをもって、すべての物事を解釈してはならない。必ず事を誤る。
自分の得意なところ、知っているところだけを使って物事を判断してはならないということでしょうか。
幅広い分野の知識を持って、多方面から物事を見ればきっと新しい道が開けるはずです。
陽明学とは、事を起こしてそれが成功するか否かは第一義ではない。結果がどうかということを問わない。陽明学の第一義はその行為が美しいかどうかである。
終わりよければすべて良しではないということでしょうか。
たとえ終わりが悪くても、その過程がどうなのかわかればきっと修正できるはずです。
結果に向けてどうアプローチしてくか、そのアプローチの美しさが問われています。
議論は起こった方が負けである。怒ることにより自分の敗勢を立て直そうとするというものであり、自ら敗北を宣言するようなものである。
怒りは人の論理的思考力を奪います。感情で議論をしても、何も生まれません。
いかがだったでしょうか。
陽明学の徒である河合継之助の陽明学的な考えが多かったですが、心にグサッとくるものもあったのではないでしょうか?
興味がある方はぜひ買ってみてくださいね。北越戦争で散った河合継之助の精神を少しでもくみ取ってあげたください。
それでは!