哲学好きに悪い人はいない 2019/03/30
最近はずっと哲学の本にはまっている。
古い本かもしれないが、この2冊はとても面白い。
本のタイプは違うかもしれないが、この2冊はセットで買うのがおすすめだ。
正義とは何かがわかったうえで思考実験をすると、自分の考えが深い谷に落ちていきそうな気がする。
本に書いてある答えと遺文の考えることが違ってくるのだ。
どちらを正解と取るかは人それぞれだが、とても不思議な感覚に陥る。
トロッコ問題はご存じだろうか。
有名な思考実験の一つである。
暴走するトロッコがある。あなたは線路の切り替えスイッチの近くにいて暴走するトロッコの進行方向を変えることが出来る。トロッコの先には5人の作業員がいて、彼らはトロッコには気付かず作業をしているようだ。このままでは5人はトロッコにひかれて死んでしまう。
あなたは線路を切り替えようとするが、切り替えた先の線路にも1人の作業員がいる。一体どうすればよいのだろうか。どちらがより好ましいのだろうか。
というような有名な問題がある。
今回はこれについて考えてみよう。
その前にこの思考実験の多数派について紹介しておこう。
有名な思考実験のため統計データも複数あるようだが、85%以上の人は5人を助ける、すなわち線路を切り替えて1人の作業員を犠牲にするという判断をしたようだ。
この時、作業員全員は面識がなく全く知らない人という条件が付いている。
5人を救いたいという人の思考には、「より多くの人を救いたい」という思いがあるようだ。
これは功利主義と呼ばれる考え方に基づいている。
功利主義とはイギリスの哲学者、ジェレミ・ベンサムが提唱したもので
彼は正しい行為や政策とは「最大多数の最大幸福」をもたらすことだと唱えている。
すなわち、多くの人が幸せを感じられるような政策が良い政策であるということだ。
数学的にはΣ(人)×(その人が感じる幸せ) である。
この考えからすると、5人を救うという考えはよい政策であることは間違いない。
しかし、もしもスイッチを切り替えた先の作業員が自分の友人、恋人などであればどうだろう。
私であれば、間違いなく5人を犠牲にする選択肢にするであろう。
この場合、自分目線、相手目線で答えが全く変わってくる。
自分目線であれば、知り合いが亡くなることは見ず知らずのひとが亡くなるよりも辛いからこの選択は当然ではないか?
しかし、功利主義の観点からするとすこし疑問に感じるであろう。
多くに人が幸せを感じる政策と考えると友人であろうと恋人であろうと、5人を救った方が良い政策であることは間違いない。
しかし、不幸せを幸せに対してマイナスの点として考えると、
友人や恋人をなくしたという不幸せは大きな影響があるはずだ。
だからこの場合は5人を犠牲にするという選択肢の方が好ましいのではないだろうか。
このようにトロッコ問題は条件、その人の観点、によって答えが大きく変わってくる。
この際一度この問題について考えてみるのもいいのではないだろうか。
面白そうだと思った方はぜひ買ってみてくれ。