本当にお客は神様なのか?? 「お客は神」の本来の由来と見解について
更新が久しぶりとなってしまいました。理系大学生のテスト期間は忙しいです。ブログどころではなくなっていました(笑)。更新がしっかりできるようにストックを他、得ておくべきですね。
テストも6つ中3つ終わり中間地点となりました。重たい科目が終わったので、あとは比較的楽です。化学科なのですが、化学は面白いけど、覚えることが多くて大変ですね。理解してしまえばいいのだけど例外が多いので結局暗記に頼ってしまっています。
さて、私がテスト期間中、twitterでこんな記事を見つけました。
これ好き pic.twitter.com/EMWbL9G4Nq
— 銀嶺 (@gin_shiru) 2018年7月21日
リツイート13万、お気に入り27.4万がついた有名ツイートです。このツイートに対し、様々な意見が投稿されました。
今回は、このツイートに対して、自分なりの見解を発信していこうかなと思います。
「お客様は神様」の由来
この「お客様は神様」という言葉はどのようにして生まれたのでしょうか?
いまや、サービス業の常套句と化してしまったこの言葉。お客様からの言葉は絶対であるといったような意味であるこの言葉ですが、この言葉は全く違う意味を当初は持っていました。
さて、いったいこの言葉はどこから、だれが生み出した言葉なのでしょうか?
それは日本の演歌歌手「三波春夫」という方です。
「お客様は神様」の誕生
「お客様は神様」という言葉は、1961年頃の自身のステージ上、三波と司会を務めた宮尾たか志との掛け合いMCの中で生まれた言葉です。
宮尾「三波さんは、お客様をどう思いますか?」
三波「うーむ、お客様は神様だと思いますね」
宮尾「なるほど、そう言われれば、お米を作る神様もいらっしゃる。ナスやキュウリを作る神様も、織物を作る織姫様も、あそこには子供を抱いてる慈母観音様、なかにゃうるさい山の神……」
この宮尾の発言は観客の笑いの渦となり、定番のMCとして全国各地で披露された。これが「お客様は神様」という言葉の誕生である。
では、三波はこの言葉をどういった意味で言ったのだろうか?
「お客様は神様」の本当の意味
三波本人の説明によると、
「舞台に立つときは敬虔な心で神に手を合わせた時と同様に心を昇華しなければ、真実の芸はできない」「いかに大衆の心を掴む努力をしなければいけないか、お客様をいかに喜ばせなければいけないかを考えていなくてはなりません。お金を払い、楽しみを求めて、ご入場なさるお客様に、その代償を持ち帰っていただかなければならない。」「お客様は、その意味で、絶対者の集まりなのです。天と地との間に、絶対者と呼べるもの、それは『神』であると私は教えられている。」
と言っている。
このように、三波は芸を見せるお客様のことを神様であるといっており、決してお客は神様であるから、お客の立場の方が目上であるというような意味では使っていないことがわかる。神様の前で芸をするような気持ちで芸をすることにより真の芸を見せることができ、お客様に見せる価値のある芸をすることができるということである。
「お客様は神様」の意味のずれ
先にも言ったように、三波が使った「お客様は神様」と、今日使われている「お客様は神様」は大きく意味が違うことがわかる。前者は「気持ち・意識」に対して、後者は「立場」に対して使われている。
三原はこの間違った使われ方についてオフィシャルブログの中でこう見解している。。
三波春夫にとっての「お客様」とは、聴衆・オーディエンスのことです。客席にいらっしゃるお客様とステージに立つ演者、という形の中から生まれたフレーズなのです。 三波が言う「お客様」は、商店や飲食店などのお客様のことではないのですし、また、営業先のクライアントのことでもありません。 しかし、このフレーズが真意と離れて使われる時には、例えば買い物客が「お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。お客様は神様でしょ?」と、いう風になるようです。そして、店員さんは「お客様は神様です、って言うからって、お客は何をしたって良いっていうんですか?」という具合。俗に言う“クレーマー”には恰好の言いわけ、言い分になってしまっているようです。
このように、間違った使われかたをしていることに対し、オフィシャルブログの中でも見解を示している。
筆者の見解
「お客様は神様」という言葉は何度も耳にしてきた。Youtubeで動画を見たときのクレーマーが発している様子、2チャンネルでのまとめ記事など、様々なところで耳にしてきた。「お客様は神様だぞ」と怒っている人たちは知性が低いと私は感じた。「この人たちはどういう立場でこの言葉を使っているのだろう」と思い、私は不愉快に感じた。
私は「お客様は神様」という言葉を耳にするたびに常にこう思う。
「必ずしも客は偉いのか」
確かに、お客がお金を払うことによりお店が成立しているわけであるため、お客がいなければお店は閉店してしまう。競争が激しい中でお店が生き残るためにはお客は大切にしなければならない。お店がお客に対して横暴な対応をとるとお客が離れてしまい、閉店してしまうからだ。こう考えると、お客>お店という立場関係になっている。
しかし、こうも考えることができる。
「お客はお店がなければ生活することはできない。」
お店があるからこそ、食べ物を買ったり、衣服を買ったりすることで私たちは生活できている。こう考えると、お客<お店という立場関係になっている。
しかしながら、後者の考え方には問題がある。決してお客<お店という立場関係にはならない。お客には選択性があるからだ。お店は基本、お客を選ぶことはできない(会員制を除く)。お店はお客が嫌だからと言ってお店を移転したりすることは現実的に不可能である。しかし、お客は商品を買うお店を選ぶことができる。あるAというお店が嫌ならばBの店に買いに行けばいい話であるからだ。
お店、お客の自由度から考えると、お客>お店という立場関係は覆すことができないものである。しかし、だからと言って「お客様は神様」という言葉を安易に使うのはいかがなものであると考える。これから私が述べることは意識の問題である。しかし、この意識の変化が読者にとってのお店とお客の概念を覆すものとなってほしい。
先ほど述べたように、「お店があるからこそ生活できている」という意識を少しでも持つことで、「お客様は神様」問題を少しは解決できると考える。覆すことのできない立場関係を利用してクレームを入れるのはなんとばかげたことであろうか。
すこしでも、お店に対して感謝の気持ちを持つことで、「お客様は神様」という言葉を作った三波さんに対してもよいものとなるのではないかと思う。
意見、反論などありましたらコメント欄へどうぞ。話題になったからこそ議論したい案件でもあります。